ユウキのこと

 12月30日、今日は猫のユウキの命日だ。

 ユウキは私が大学を卒業し、仕事を始めた年に飼い始めた猫だ。ずっと猫を飼いたいと思っていたところ、近所のスーパーに「猫もらってください」の張り紙が貼ってあった。その家を訪ねると、飼っている2匹の雌猫が同時期に出産し、仔猫が十匹も生まれてしまったというのだ。茶色と灰色のペルシャ猫の子供たちは、様々な毛色の子がいたが、みんな来客の様子をうかがっている中、一匹の灰色の子猫が私のところに近づいてきて私の手をなめた。その子がユウキだ。

 まだ生まれて2か月もたっていないころで、体重は500gしかなかった。すごく人懐っこい子で、来た日から、まだ9月で暑いのに私の腕枕で眠った。やんちゃな子で、いろんなところに登っては物を落とすので、カラーボックスでの物の管理がすごく大変になった。小さいころには噛み癖があって、しつけに悩んだ。

 ユウキが4歳になった時、私に息子が生まれたので心配したが、ユウキのほうは「なんか変な生き物来た!!」と言わんばかりで遠巻きに眺めるだけだったので安心した。息子は寝返りがうてるようになると、目を離したすきにユウキに近づくようになったが、たたいたり毛を引っ張ったりするようなこともなく、まるで生き物の扱い方を知っているかのようにやさしくなでていた。息子が少し大きくなると、夜にトイレについてきてくれるお兄ちゃんのような存在になった。寒い冬には、布団の中で私の隣を奪い合った。何より、小学校高学年になり、祖母宅より家で私の帰りを待つようになった頃、家にいるのが自分一人ではなく、ユウキがいることは何よりも彼の慰めになっただろう。

 しかし、生きているものは必ず老いる。遊んでいる時間よりも、じっと横になっている時間が増え、食も細くなり、朝は2階で寝ている私たちを起こしに来ることもなくなった。ただ、いつも私が朝起きると、必ず私についてきて、洗面所で顔を洗う私の横で、お風呂場で水を飲み、私のトイレが終わるのを待って、一緒に台所に行き、シンクでもう一度水を飲んだ。

 ここからは、死の描写があるので、苦手な人はご遠慮願いたい。

 2年前の12月29日の夜、仕事から帰っていつものように餌をやるが食べない。少し鰹節を振ってやったのだが、興味を示さない。ただシンクに上って水は飲んでいた。その時、もう長くはないかもしれないと思った。
 次の日の朝、私が起きると、彼も部屋から出てきたのだが、いつもなら私についてきて水を飲むのに、逆の方向のトイレに向かい、そして、たどり着く前に漏らしてしまった。そのまま、水を飲むこともなく寝床に戻り、眠ってしまった。
 その日から幸い仕事が休みだったため、朝一番で病院に連れて行った。いろいろ検査をしてもらったところ、いろんなところが少しづつ悪いが、治療をするほど悪いものではない、体温は下がっている、17歳という年齢からも、来るべき時が来た、ということでしょう、と言われた。脱水状態だと体がつらいので、と温かい点滴を打ち、少しでも飲ませてくださいとブドウ糖とスポイドともらった。年末年始は基本的に休みだが、時間を決めて開けるので、点滴を希望するならその時間にできる、連れてくるほうが負担になると判断されたら、それでもかまわない、とも言われた。とりあえず、翌日の予約だけして帰った。
 うちについた時はもう昼近かったので、昼食の用意をして、息子と食べた。その後、ユウキにスポイドでブドウ糖液を飲ませた。口に含ませた水を、ユウキが飲み込み、のどが動いたその瞬間、ユウキが私を見つめ、その瞳から、すうっと命の光が消えた。生きていたその目が、まるでガラス玉のようになってしまったのだ。慌てて心臓マッサージをし、人口呼吸をした。しかしユウキは戻らなかった。私が殺してしまったのか?と狼狽し、その後は茫然となった。止まることなく涙が流れ、嗚咽が止まらない。息子は、「部屋に行く」と言って、出て行った。私が泣くのが見ていられなかったのか、何より彼は、自分が泣いているのを人に見られるのを嫌う。
 何をしたらよいのかわからなかったが、ユウキの亡骸をずっとこのままにしておくわけにもいかない。ペット葬儀センターをインターネットで探すと、近くにあることがわかった。そこのホームページに、まずなくなったペットの目を閉じてあげてください、とあった。確かに、目を開けたままだったので、目を閉じてやる。ふと、夫に連絡をしてなかったことに気づき、仕事中の夫に電話、すぐに来てくれた。死んでしまったユウキを見て、夫も号泣していた。初めて見る姿だった。夫は仕事にすぐ戻ったが、帰ってきたときは、ペット用ベッドと造花を買ってきてくれた。ベッドに寝かせ、周りに花を敷き詰め、ただ私たちは泣いていた。どんなに悲しくても、生活しなくてはならない。泣きながら食事を作り、泣きながら食べた。葬儀社に予約をし、次の日にお葬式をしたが、ひたすら泣いた。

 しばらくは、特に夜一人になると、涙が止まらない日々が続いた。17年の時を一緒に過ごした命が消えるということは重い。2年たってもやはり思い出すのはつらいものがある。ただ、そのつらさよりももっとたくさんの幸せな時をユウキはくれた。私と過ごした日々が、彼にとっても幸せなものであったことを願う。

 

スポンサーサイト

恒例行事

 年末である。年賀状を書かなければ。

 毎年毎年思うのだが、年賀状を書くのが億劫である。書くといっても印刷するのだから対して時間がかかるわけでもない。デザインにこだわりがあるわけでもないので、いつも簡単に選んで、そのまま作るのだから、あっという間にできるのだけど、取り掛かれない。やればそれほど時間がかかるわけでもないのに、どうしても億劫なこと、というものがある。私にとってそれは手紙を書いたり書類を作成したりすることと、なにか、特に書類を整理することだ。文章を読むことは嫌いではないし、書くのも(手書きは別だが)嫌いではないのでなぜかはわからない。

 さておき、実家から遠く離れて暮らしている私にとって、年賀状は新年のあいさつもさることながら、親戚や身内に対しての生存確認通知のようなものなので取り掛からずにすまされない。昨日、プリンターを買ったのですぐにやろうと思ったのだが、今年になって、パソコンも買い換えたため、以前使っていたソフトや住所録が使えない。探せば見つかるのだけど、何しろ前のOSはVistaだったし、前のものが使えるかもわからない。結局、書店でそれ用の本を買う。408円と激安なのは良いがちょっと使い勝手が悪い。とにかく作ったのであとは夫に送る人に漏れがないか、確認するだけだ。

 毎年、今年こそはもっと早くやろうと思うのだけどね。いつもは31日に出してるから、ちょっとは早いか。いやいや来年こそは。

生き物を飼うということ

 今日は仕事納め、と言っても特にすることもなく、午前中で終わり。帰宅途中に電気屋によってプリンターを買った。年賀状を作らなくてはいけないのに、プリンターがこわれてしまったためだ。

 で、今、そのプリンターの上で雄猫が寝ている。この子はギンという名前のロシアンブルー。今年の春からうちにいる。もう一匹猫がいて、ソファーで寝ている雌猫はミュウという名前のソマリ、もうすぐ飼い始めてから2年になる。

 どちらも血統書付だが、そういうことにこだわりがあるわけではない。前に買ってた猫は近所でもらった子だった。ペットショップやブリーダーから血統書付の猫を買うことを非難し、保健所などで保護された猫を飼うべきだという人がいるが、私はそれはちょっと違うと思う。もちろん殺されてしまうかもしれない命を救うことは尊い。しかしペットショップにいる猫も、捨てられた猫もどちらも同じ命にかわりはない。要は出会えるかどうかではないか。実際、ミュウを飼い始める前にいろいろさがしては見たのだが、近くで引き取れる子の情報はなかった。そういう猫がいなかったら猫を飼えないというのもどうかと思うし、それよりそんな子は本当はいないにこしたことはないのだ。

 結局、命あるものを自分の都合でそばに置く、ということの意味を問うことになるのだろう。エゴだと言われればその通りだ。一歩も外に出さずに家の中で飼ってるし。ただ、自分のそばで満足そうに眠っている彼らを見ていると、そう悪いことではないのでは、と思う。前に飼っていた子は17年で天寿を全うした。生き物を飼うということは、その子の命が尽きるまで責任を持つことだと思う。私に何かあることを除けば、どう考えてもこの子たちのほうが私よりも先に往く。少しでもそれまでの時間が長く、幸せなものであることを願う。

祝 安倍首相 靖国参拝

 安倍政権発足1年。ようやく安倍首相が靖国神社に参拝しました。
 大変喜ばしいニュースなのですが、予想通り、マスコミは発狂しています。
 今、ちらちらと確認したところでは、朝日新聞、毎日新聞、時事通信社、いつもの顔ぶれで中韓の反発必至とかやってます。読売新聞は米知日派に「日米関係にいい影響はない」と言わせてます。さすがのアメポチぶりですね。まともな記事書いてるのが産経新聞だけとは本当に嘆かわしいことです。テレビは基本的に見ないので、後でネットで確認してみます。
 先の大戦で、多くの方が亡くなり、敗戦で日本は多くの痛みを受けることになりました。占領下のGHQの政策は今でも教育、マスメディアに色濃く影を落とし、私たちをむしばんでいます。その中で、先の大戦の反省をするとともにその戦争で亡くなった方に哀悼の意を示すことは、日本国民として当たり前のことであり、他国にとやかく言われる筋合いは何もないはずです。
 中国は侵略だったといいますが、あのような事変が起こったのはあなたたちの現地における日本人、朝鮮人への非道な行為がそもそもの原因ではないのですか?韓国、北朝鮮に至っては、そもそもあなたたちとは戦っていない。あなたたちは私たちと共に戦った同胞だったではないですか。しかも靖国神社には自ら志願して日本兵として戦ったあなたたちのご先祖も祀られているのですよ。どうして日本のマスコミはこれくらいのことが言えないのか。本当に腹立たしい限りです。
 追跡して参拝しに行った方の報告では、「マスコミの飛ばしているヘリの音がうるさい」とのことです。神聖な場所に祈りをささげに行っているのに、静かにできないのか!!もともと靖国参拝がタブーになってしまったのも、朝日新聞が大げさに取り上げたのがきっかけでした。本当にこの国のマスコミの本籍はどこだ!!

倉山満 「嘘だらけの日韓近現代史」感想

『嘘だらけ』シリーズ3作目。思うにこのシリーズは倉山先生流の憑き物落としではないか。

 憑き物落としとは何か、ということに関しては京極夏彦先生の「百鬼夜行シリーズ」を読んでいただきたいのですが、古本屋であり神主でもある京極堂こと中禅寺秋彦の行うある種の脱洗脳の手段です(こんな説明ではちょっと不足ですが)。

 「嘘だらけの日米近現代史」では『憎き相手でありつつも仲良くしていかなければならない同盟国に対して、事実に基づかない不必要なコンプレックスを抱いてはならないという観点から』、「嘘だらけの日中近現代史」では『単純なアメリカへの反発、あるいは日本人が中国人の嘘に騙されて抱いてしまった幻想に対し、これまた変なコンプレックスを抱かないようにと』の観点から書かれています。

 現在の日本はいまだかつてないほどの嫌韓ムードにあふれ、ネットの国際ニュースには様々な韓国についての話題にあふれ、ネット動画の政治ランキングには必ず上位に韓国ネタがある。しかし、嫌いだからと言って騒いでそれでどうするのか。具体的にどうするのか、たとえば韓国を滅ぼそうというのか。ただ嫌韓を叫ぶことの意味はどこにあるのか。そしてそのことによって喜ぶのは誰なのか。倉山先生はそう問いかけます。

 実のところ私も大の韓国嫌いで「嫌韓流」も全巻持っていますし、韓国関係のニュースを見ては腹を立てていました。しかしこの本を読んで、すっと何かが落ちたのです。もちろん今でも嫌いなことには変わりありませんし、それこそ彼らの間違った歴史認識に基づくいわれなき攻撃に対しては断固たる態度をとらなくてはならないと思います。だからと言って、抗議するだけでは意味がない、何かを変えたいのならそのために具体的で、効果的な方法を考えなければいけないのです。おりしも昨日、南スーダンで、韓国軍に弾薬を無償譲渡したというニュースが入ってきました。ネットでは「なんで韓国なんかに!!」という意見であふれています。今までの私ならやはり同じようなことを言っていたと思います。しかし、今では問題はそこではない、と冷静に考えることができるようになりました。案の定、反対側の人たちは、「武器輸出三原則ガー」と騒いでいますが、韓国側の「日本はいわば殺人犯、レイプ魔なのに…」というやつあたりはさすがに斜め上をいってますね。

 倉山先生がよく言う「敵と犯罪者は違う」とはちょっとちがうかもしれませんが、韓国は確かにまったく理解しがたいし、関わりたくもない、しかし最も近い国でもあり、敵国になってしまったらはこちらに不利になる、本当に厄介な国なのです。この国とどううまくやっていくか。これは解決しようにもおそらく解決しない問題で、ずっと抱えていかなければいけないものなのですね(涙)。

 長々と書きましたが、内容的には相変わらず読みやすく、楽しく読ませていただきました。倉山先生は、常に自分にしか書けないものをと考えて、書いてらしゃるそうですが、前述したことのほかにも、知っている人ならクスっと笑ってしまうようなネタや、さらっと読むと気づかないようなとんでもないブラックな話まで。本当に楽しませていただきました。今年はもう1冊、来年はすでに3冊出版予定があり、先生の活躍にはこれからも目が離せません。




クリスマスイブ

 今日は12月24日。
 世間的には今日が一番盛り上がるのでしょうか?
 子供も大きくなってしまい、時にツリーも飾らず、プレゼントも子供のほしいものを先に買ってやっているので、最近クリスマスといえば、おいしいものを食べる口実になってしまっています。で、いつ食べるかというと私の都合しだい。準備もゆっくり、食べた後もゆっくりしたいので、その日も次の日も休日が望ましい、ということで、今年は12月22日に。
 
 で、クリスマスといえば定番のローストチキン。

鶏

 なんだかあまりおいしそうに見えないなあ。とってもおいしかったんですけどね。おなかにはピラフを詰めてあります。ローストチキンは下ごしらえさえしてあれば、あとはオーブンで焼くだけなので、楽ちんです。中の味のついていないところは、2匹の猫たちにもおすそ分け。

 あとやっぱりケーキですね。

ケーキ

 自分でケーキを焼くようになったきっかけは、買うと高いから(だって、卵と小麦粉と砂糖と生クリームとバター、あとイチゴぐらいで作れるし)という身もふたもないものですが、これもハンドミキサーさえあれば、そんなに難しいものでも手間がかかるものでもないですしね。あとは慣れかな? 
 子供が小さいときはいろいろとリクエストがあり、いろんなキャラクターをマジパンで作っていたのですが、もう何も言わなくなったので、シンプルに、と思ったら、何も乗っていないのが不満そう。いえば作ってあげるのに。中学生とはいえまだまだかわいいなあ。

「ジャパニズム」16号感想


 すめらぎいやさか!!

 本日は天皇陛下のお誕生日。

 つらつらと日本の教育などなど、考えつつ先日買った「ジャパニズム」を読む。

 神谷宗幣氏の「反日教育の原点と現状」

 反日教育が行われるようになった歴史的背景、現在の教育などのレポートだが、氏の
「小学校から高校までのこうした教育のしくみの中で、真面目で優秀な生徒ほど左傾化した反日思想を持つのではないかと私は考えている」との言葉にはうなづけるところがある。
 自分自身のことでいうと、高校を卒業したころの私はうっすらとしたサヨク思想の持主であった。そしてそのような思想に至ったのは、学校の教育もさることながら、友人たちが紹介してくれた歴史に関する本などの影響が強かった。自分が優秀な生徒だったというつもりはないが、ネットのなかった時代、自ら進んで学ぼうという気持ちが強いものほど、結局そういった思想にさらされる危険性も高いのだ。

 KAZUYA氏の「2000人のアンケート 生徒からの告白 私たちはこんな教育を受けてきた」
 君が代の歌詞の上にアリランとかどこの国の教師だよ・・。しかしこのくらい狂っていれば逆に洗脳されずに済むかもね。私自身はそれほど強烈な反日教育を受けた記憶はない。しかしうっすらと「日本は韓国に悪いことをした」とか「自衛隊は危険な組織。日本国憲法は世界に誇れる平和憲法」なんてことは思っていた。このなんとなくにおわせるというのは曲者で、強烈に反論できるようなものでない限り、子供は信じてしまう恐れがあるのだ。

 倉山満氏の「増税政局 その裏側と行く末」
 ちょっと他の記事に比べると異質な感じがするが、倉山氏の著書はその内容が歴史であれ憲法であれ、日本の現状に対する警告にあふれている。最後の「死にゆく者たちへ」という節は同世代の自分にとっても胸の痛くなる話だ。私も、学校を卒業して働く時期にバブルが崩壊し、ずっと経済が不調の時代を生きてきた。私の中学生の息子など、日本が元気だった時代を一度も知らないのだ。私が子供の時には、がんばっていればいろんなことがよくなっていく、という空気が確かにあったと思う。それをまったく知らずに育つことが若者たちの心にどのような影響を与えるのだろうか。




プロフィール

yumikw

Author:yumikw
富山市在住。夫と息子、猫2匹と暮らす会社員。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR