山村明義 日本をダメにするリベラルの正体 感想 リベラル批判編

 
 今年の1月20日、アメリカ大統領にドナルド・トランプ氏が就任しました。日本では完全に泡沫扱いされていたトランプ氏が共和党の候補となった後も、日本のマスコミはトランプ氏をトンデモ扱いすることをやめませんでした。大統領選挙の前日に書いたこちらのブログ「江崎道朗 『マスコミが報じないトランプ台頭の秘密』感想」に書いていますが、あるテレビの調査でヒラリー・クリントン氏が大統領にふさわしいと思っていた人が70%、トランプ氏と答えた人は一桁でした。この選挙結果を目の当たりにした時、テレビや新聞の報道しか見ていなかった人たちは何が起こっているのか理解出来なかったのではないでしょうか。日本のマスコミならず、アメリカのマスコミもリベラル層で支配されています。前出の江崎道朗先生によると、アメリカには朝日新聞と赤旗しかないような状況だそうです。今回の大統領選で、今まで一部の人々には公然となっていたマスコミやリベラルの嘘や欺瞞が明確に表れたのではないでしょうか。今回の本でも取り上げられていますが、トランプ氏が大統領になったら海外に移住すると、多くの有名人が公言していたにも関わらず、実際に移住することなく、トランプ氏に対して寛容な姿勢を示し、自分の言動に責任を取らないための言い訳をしています。このようなリベラルの態度はどこから来るのでしょうか。

 本書はこの「トランプ現象」で化けの皮が剥がれて崩壊してしまったリベラルの現状、日本のリベラルの情けない状態、突如起こった「日本会議」へのバッシング、リベラル思想の歴史、などを通じてリベラルの欺瞞を解きおこしていきます。

 本来のリベラルは愛国と反する言葉ではありません。しかし、山村先生は「日本独自のリベラルとは何か?」と問われたら、それは「日本を貶め、卑下する考え方のままにしておく日本特有の思想」(P154より引用)だと言います。なぜ彼らは無批判に外国人の思想をしかも間違った形で取り入れ、自国を守る努力を怠るどころか危険に陥れるようなことをするのか。自虐史観のみならず、コスモポリタニズムを装った国家解体でも目指しているのかと疑わざるを得ません。もちろん、全てのリベラルが国家解体を目指しているなどと言うつもりはありませんが、どこかでその毒がひっそりと仕込まれているように思えるのです。

 おもしろい表現なのですが、山村先生は結局「リベラルとはなにか」と問われれば、「闇鍋主義だ」(P184より引用)と答えると言っています。食べれられるものも食べられないものもなんでもありで入れてしまう「闇鍋」。本来の「自由主義」等の意味を越えて、本来のその意味とは相反する設計主義につながりかねない「社会主義」や「共産主義」、行きつく果ては「暴力革命主義」。そんなものを都合よくごちゃまぜにして「リベラル」という響きの良い言葉で言い換えてしまえば嘘や矛盾が出てくるのは当たり前です。

 そして、最近のリベラルの傾向として、なぜか「保守」のふりをしたがるという指摘もあります。民主党代表の蓮舫氏ですが、なぜか自身を「バリバリの保守」だと言い始めました。二重国籍問題で散々嘘をついておきながら、安倍首相に向かって「息をするように嘘をつく」と言ってのける。神経が太いのか健忘症なのか。まさにリベラルの嘘と欺瞞を体現するような人物ではないでしょうか。

 本書の第三章で取り上げられている「日本会議」バッシング。その中でも著作「日本会議の研究」がベストセラーになった菅野完氏も、部落解放同盟、しばき隊を経て右翼に転向したと言っています。しかし、彼のネット上の記事やインタビューを読んでも彼が保守だとはどうしても思えません。

「日本会議は中身空っぽ」 異色の著述家・菅野完氏が解明

記事の2ページ目より引用

右翼の本来の役割は「国を国家から守る」ことだと思うのです。国とは“邦”であり“故郷”でもある。また、保守という視点で言えば「国家の暴走に掣肘を加える」ことも重要です。

引用終わり


 菅野氏は「国を国家から守る」と言っていますが、「国家」をどのような意味で使っているのでしょうか。国家の三要件とは中学校でも習いますが、「領域、国民、主権(政府)」です。「憲法は国家権力を縛るもの」などというリベラルな政治家がいますが、本来国家権力は内外に対して排他的で縛られてはいけないものです。言い換えるのなら「憲法は政府権力を縛るもの」でしょうか。菅野氏の言うところもその「国家」が「政府」なのか「政権」なのか今一つはっきりしません。マスコミが良く「政府の借金」を「国の借金」と言い換えて、国民に負債があるかのような報道をしますが、「国」なのか「国家」なのか「政府」なのか、あいまいにして言葉を使う人物はまず疑ってかかった方が良いと思います。特にプロの物書きならば。

 そして、菅野氏はまるで保守論壇や保守系の雑誌のせいで、ヘイトスピーチなどが増えたかのようなことを言っていますが、これこそリベラルのお得意のすり替えです。

 トランプ現象しかり、マスコミはまるでトランプ氏が世界に混迷を起こしているかのような印象操作をしていますが、実際は逆ではないでしょうか。行き過ぎたポリティカル・コレクトネスに対する閉塞感、不法移民をきちんと取り締まるどころか「人権」の美名のもとに彼らを保護、本来利益を享受すべき国民ではなく、権利を持たないはずの人達が優遇されれば不満が噴出するのは当然のことでしょう。「人権」と「国民の権利」は本来区別されなければならないのですから。これは日本でも同じことです。私はヘイトスピーチを行う事は是としませんが、それを行った人たちの目的もヘイトスピーチではなく、本来は不公正に対する声を広く知らしめようというものであったはずです。最近は、一部団体がデモを行う前から「ヘイトスピーチ・デモ」などとマスコミがレッテル貼りをしていますが、いつまでも国民が騙され続けると思っているでしょうか。多くの人が気づき始めたから、今回のトランプ氏の勝利があり、リベラルが保守を詐称するようなことが起こっているのではないでしょうか。

 補足ですが、先程の「人権」と「国民の権利」があいまいになっている理由の一つは教科書にあると思っています。日本で一番のシェアを誇る東京書籍の中学の「公民」の教科書を読んで、この二つの違いに気づく中学生がいたら天才だと思います。いろんな前提を知らずにあれを読めば在日外国人に参政権を与えるべきだと思いかねません。

 第七章で「本当のリベラリズムは神道にある」と綴られます。日本には八百万の神がいて、神様たちはそれぞれの「個性」を持ち、「共存共栄」を求めて話し合い、譲り合う。これは神話だけの話ではなく、聖徳太子は十七条憲法で「和を以って貴しとなし、忤うこと無きを宗とせよ」と定め、五箇条の御誓文で明治天皇は「広く会議を興し、万機公論に決すべし」と誓約されました。神道は西洋型の宗教とは違いますが、その精神は現代の我々にも受け継がれています。神道では無理な布教もしませんし、我が国では何を信じようと自由だという価値観が根付いています。クリスマスを祝い、大晦日には除夜の鐘を聴き、お正月には初詣に行く。いいかげんだとか節操がないという見方もあるでしょうが、片やキリスト教徒が圧倒的に多いアメリカでは他の宗教に対する配慮のために「メリー・クリスマス」ということすらはばかられるような状況になっているそうですマイノリティーや弱者を常に正しいとしてしまえば行きつく先は原理主義になってしまいかねません。自由とは、寛容とは何かと考えさせられます。こう思うと日本の「保守」こそ本当は「リベラル」なのかもしれません。

 良いものなら外国のものでも他宗教でも受け入れる寛容さと同時に、古来の伝統や文化を大切にしてきた我が国日本。リベラルの方たちも本当に「自由主義者」を標榜するのはなら、自国を大切にする心も持てば、現在抱えている矛盾も緩和されていくのではないでしょうか。

 しかしながら、本書は「リベラル」批判のみの本ではありません。日本の保守派にも鋭く切り込んでいます。特に「チャンネル桜」に対しては厳しい批判がなされています。長くなりますし、そちらは私の得意分野(?)ですので、次回、詳しく取り上げたいと思います。


 


 
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富山市在住。夫と息子、猫2匹と暮らす会社員。

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