江崎道朗 『アメリカ側から見た東京裁判史観の虚妄』 感想


 「ヴェノナ文書」

 これについて聞いたことのある人は多いだろう。しかし「ヴェノナ文書」とは一体どのようなものなのか。本書の中ではこのように説明される。

P67より引用

 ヴェノナ文書とは、ソ連・コミンテルンのスパイたちの更新記録だ。
 正確に言うと、一九四〇年から一九四四年にかけて、アメリカにいるソ連のスパイとソ連本国との暗号電文をアメリカ陸軍が密かに傍受し、一九四三から一九八〇年までの長期にわたって、アメリカ国家保障局(NSA)がイギリス情報部と連携して開設した「ヴェノナ作戦」に関わる文書のことである。

引用終わり


 F・ルーズベルト政権内にも当時のアメリカのマスコミ内部にも多くのソ連のスパイが入り込んでいた。そして彼らは日本とアメリカを戦争へと追い込むための工作を仕掛け、戦後はGHQの一員として、日本の占領政策や現行憲法制定にも関与していのだ。

 現在、アメリカでは、特に保守派の間では近現代史の見直しが起こっているという。しかしながらそれは民間レベルの話で、アカデミズミの世界ではやはり日本同様、左派の影響が強いという。日本の歴史学会では「コミンテルン」の名前を出しただけで、実証主義ではないとまともに取り上げられないそうだ。しかし、コミンテルンは陰謀論ではない。この「ヴェノナ文書」は1995年にアメリカ政府が情報公開法に基づいて公開したものだ。日本の歴史学者はなぜこれを無視するのか。少なくとも日本の大手の教科書にはこれを検証し、取り入れた形跡は見られない。日本国憲法の制定に関わったビッソンはソ連のスパイだった。元々は英語で書かれていたGHQの作った憲法草案を翻訳する過程で白洲次郎たちはなんとか日本の国体を守るために日本側に都合のいいようにしようとしたが、それはビッソンたちによって阻まれている。皇室の条項について、「すべての皇室財産は、世襲の遺産を除き、国に属する」と邦訳しようとしていたのに、「世襲の遺産を除き」という言葉が彼らによって削除させられたのだ。現在、皇室財政が逼迫し十一宮家が臣籍降下せざるを得なくなったこともここからつながっている。しかしながらそのようなことは我々は学校では教わらない。帝国憲法下では天皇主権で、人権は法律によって制限され、自由な言論や政治活動は制限されていた。日本国憲法によって、戦前の天皇主権が否定され、国民主権となり人権の保障が著しく強化されたと一方的に歪められた形で教わるのだ。

 本書で江崎先生は「二十世紀は、ソ連・コミンテルンとの戦争であった」という「百年冷戦史観」を提唱している。この百年冷戦史観の観点から、日米の保守派は、東京裁判史観の見直しで共闘すべきだと。ソ連の崩壊で冷戦は終わったと思う人も多いかもしれない。しかし、ソ連が崩壊したからと言って、コミンテルンの末裔たちが絶滅したわけではない。日本でも、前回の衆議院選挙では共産党は議席を伸ばし、現在、根本的な主張が違うはずの民進党などの野党を取り込もうとしている。以前、「国民連合政府」の構想を共産党が打ち立てたのは「安保関連法制(彼ら曰く戦争法案)廃止と安倍政権打倒」を目的としての共闘しようというものだった。このように「平和」や「戦争反対」などの名目で、彼らの主張に共感する者たちを、巧みに取り込み、自分たちの利益のために働かせる。ここが彼らの恐ろしいところだ。
 
 今回つくづく感じたのが、共産主義者の恐るべき執念深さと保守派のナイーブさだ。昨今の若者中心で結成された(とされていた)SEALDsとて、決してうまくいっていたとは思わない。しかし、解散したはずの彼らが、最近では沖縄や原発反対運動で活動しているように、失敗してもまた形を変え、目的達成のために何十年もかけて工作活動を続けるのだ。そして、彼らは手段を選ばない。本来の彼らの主張からすれば、共産主義と宗教は相いれないはずだが、彼らは目的のためなら宗教団体にも潜入して活動する。こちらの是非はともかくとして、とかく保守派は正しいことを主張していれば、いずれ自分たちが認められると思っているとようにしか見えない。マスコミが左翼で席巻されていることを批判するのは良いが、批判するだけではなく、どうすれば自分たちの主張が取り上げられるようになるのか。自分たちがそこで主流派になれるのかを真剣に考えるべきではないだろうか。

 「ヴェノナ文書」が公開されたことによって、少しずつ解明されていることはあるとはいえ、未だに謎の部分は多い。アメリカ側はもちろん、日本の外務省も当時アメリカでの反日活動の背後にアメリカ共産党・コミンテルンの暗躍があることを正確に分析し、日米分離工作にのらないように近衛内閣に訴えていた。しかしその声に近衛内閣は耳を傾けず、親ソ反米政策を推進し、ルーズベルト政権も対日圧迫外交を強化していった。近衛の近くで尾崎秀実などのスパイが暗躍していたことは知られているがそれは氷山の一角だろう。「ヴェノナ文書」の中にはモスクワと東京の交信記録もあるそうだ。アメリカ側からだけではない、日本側からの研究も待たれる。

 残念なことに、日本で中西輝政氏の翻訳した「ヴェノナ」は絶版になっており、古本でも手に届かないような値段となっている。なんとか再販か電子書籍化してもらえないかと思い、kindle化のリクエストもしているのだが、現在ではその予定はないらしい。これだけ高額で古本が取引されるほど需要があるにも関わらず、なぜ再版されないのか。出版業界にも大きな闇があるのか。どちらにしても正しく歴史を検証しようという声が、無視できないほど大きくなるよう、保守派は左派に負けることなく作戦を立て、執念深く活動を続けなければならない。





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それは本音ではなく思いつき?! 西村幸佑 『日本人に「憲法」は要らない』を読んでみた

 8月9日に出た西村氏の新刊です。

 なぜ、こちらの本を読もうと思ったか。きっかけになったのはこの動画です。

1/3【討論!】日本と世界の暑い夏[桜H28/8/6]



 そもそもタイトルといい、一体何を話すのか?なぜ呼ばれるのかわかっていないのにしょっちゅう出てくるアートディレクターは「暑い」じゃなく「熱い」について語ってるし(悪口ではなく本人が言っている)、後半20分ほどは司会者が最近番組でいつも言っていることをだらだらしゃべり倒す。しかし、その中で著書の紹介と共に、西村氏が驚くべきことを語ったのです。

(憲法は)いらないって書いてあるんですけど。あのまあ確かにいらないんですけどね。

憲法とは一体何なのかってものを考えてほしい。

護憲と改憲っていうそればっかりの論点になると、ダメなんですよ。変なイデオロギー論争のドツボにはまっちゃうんですよ。

イギリスに憲法がないようにね。日本なんて全く必要がないわけですよ。イギリスよりはるかに長い歴史と伝統があるわけですから。


 護憲と改憲という論点ではなく憲法とは何かを考えて欲しいということには100%同意しますが、日本に憲法は要らない?イギリスには憲法がない?一体何を言っているのかと思うのと同時に、ああ先日の倉山満の砦に書かれていたのは西村氏のことだったのかと。

イギリスには憲法がない? 2016年8月6日

 もしかしたら、西村氏は憲法と憲法典の区別、実質的憲法と形式的憲法の区別がついていないのでしょうか?

 私は現在の憲法論議が空虚になってしまっている理由の一つが、そもそも「憲法とはなにか」についてしっかりした議論がなされていないからだと思っています。よく倉山満先生が使う例えなのですが、氷山全体が「憲法」とすれば、明文化された「憲法典」はその氷山の水面に出ている一部であり、「憲法」とは「憲法典」のみならずその水面下にあるもの、その国の歴史、伝統、文化、いわば国体そのものであること。実質的憲法と形式的憲法の話は、憲法を学ぶ際の初歩の初歩のはずですが、それがきちんと理解されていないために、「憲法典」が憲法の全てであるかのように誤解され、まるで宗教の聖典のように扱われ、誤植1文字も変えることが許されない、あるいは「憲法典」に書かれたことを違えずに守ることを「立憲主義」を呼ぶような捻じ曲げが起こってしまうのではないかと。

 果たして西村氏の新著は憲法論議に一石を投じることが出来るのか?それできちんと読んでみることにしました。

 一応の疑問は序章ですぐに解けました。

P18より引用

 「憲法」の常識、非常識
 憲法とは、簡単に言えば「国家の運営や基本的な取り決めを整理したもの」である。本来は、文章化されているか、あるいは慣習として尊重されているかは問わないが、普通は文章化されたものを「憲法」と言う。
 そう考えると、「国家であれば、そこには必ず憲法が存在する」ということになる。その国の政治体制が「王政」であるとか「共和制」であるとか、「独裁制」であるとか「民主制」であるとかは問わない。

 引用終わり


 西村氏は「憲法」と「憲法典」の違い、あるいは「実質的憲法」と「形式的憲法」の違いは分かっているようです。

 なお、イギリスに憲法がないと言った点についても当然ですが言及がありました。

 P19~20より引用

 イギリスに「憲法」はない?!
 1297年の「マグナ・カルタ(大憲章)」から始まり、1688年の「権利の章典」、2013年に制定された「王位継承法」までの25の成文法(2016年現在)がイギリスでは「憲法的法規」=「憲法」と呼ばれる。つまり、他国のように、ひとつのまとまった法典としての「憲法」はないのだ。
 
 引用終わり


 この後も続くのですが、結論としてイギリスに「憲法」も「憲法典」もあるのです。それなのに西村氏が「イギリスには憲法はない」と誤解を招くようなことを言い続けるのかわかりません。

 序章だけで、なんというか「雑」な感じがします。表題は本人が付けるのか編集者が付けるのか、どちらにしても本人はチェックしていると思いますが、例えば『「憲法は権力を縛るもの」という定義は、日本ではナンセンス』というのがあります。

 憲法は「国家運営の基本法であり最高法」ですので、(政府)権力を縛るという側面があります。しかし、西村氏が言いたいのはそういうことではなく、長い歴史の中で「天皇親政」時代以外は天皇に権力はない。わが国の憲法(十七条憲法、武家諸法度なども含む)で君主とその制限を明らかにしていないのは、わざわざ言葉で説明するまでもなかったからだ。だからイギリスより古い歴史を持つ日本は国家運営の基礎法典としての憲法を必要としない国だ、と言いたいようです。

 ここではわが国の天皇と民との関係を語っていますが、西村氏も言う通り、天皇は我が国の最高権威であり、天皇から委託されて権力を行使する者は別にいます。それなのにその権力者のことは無視して『「憲法は権力を縛るもの」という定義は、日本ではナンセンス』とはどういう意味なのでしょうか?そして、前にも言いましたが、イギリスには日本国憲法のように統一的な法典になっていないだけで、憲法も憲法典もあるのです。ですからなぜ日本に憲法が要らないかの説明になっていません。

 西村氏は言葉としての形式的憲法と実質的憲法は理解していても、頭の中では理解できていないのではとしか思えません。どちらにしても序章だけ読んでも、この中で使われる「憲法」が実質的な憲法なのかそれとも憲法典なのか理解に苦しみながら読み続けることになります。

 こちらの本はこのような構成になっています。

【目次より】
序 章 【憲法の基礎知識】憲法学者が教えない、「憲法」の“常識"
第1章 【改憲論の問題点】護憲派も改憲派も避けられない“真実"
第2章 【憲法の定義】改めて考える。「憲法」とは何か
第3章 【日本の近代憲法】「大日本帝国憲法」と「日本国憲法」はどう作られたのか


 巻末にも参考文献がありますし、様々な資料を使って書かれたものなのはわかるのですが、なんとも中途半端なのです。この「中途半端」な感じがどこから来るのか。結局西村氏の憲法への理解から来るのではないか。

 この著書のタイトル、『日本人に「憲法」は要らない』ですが、西村氏は本当はそのようなことを信じていないのではないでしょうか。なぜかというと、それをどうやって実現するのかの方法論が全く書かれていないからです。

 「イギリスには憲法がない」、「日本はイギリスよりはるかに長い歴史がある」、だから「日本に憲法は要らない」と言いますが、前にも書いたようにこれだけ抜き出すとひどい誤解を招きます。要はイギリス型の運用にすれば良いのか思われますが、その割にはイギリスの憲法の運用に関する記述があまりに少ない。この分量では、イギリスがどのように憲法を運用しているのか理解するのは難しいでしょう。

 そして、おそらくこれが西村氏の本音だと思われることが、あとがきに書かれています(先に上げた動画でも実は言っている)。憲法9条2項を《前項の目的を果たすため、我が国は国防軍を保持する》と変えるだけで当面は十分だそうです。何のことはない、西村氏は9条さえ守れば日本は戦争をしないと言っているお花畑の条文至上主義者と何ら変わることはないわけです。自衛隊関連法が何も変わらなくても、あるいは予算が増えなくても、憲法に「国防軍を保持する」と書けば何かが変わるのでしょうか?そもそもどうやってそれを実現するのでしょうか。そのような改憲案を今の国会で発議できるとでも本気で思っているのでしょうか。

 あらゆる資料を使っていろいろ考察したところで、すっかり台無しというか、そもそも他国の憲法との比較や、帝国憲法、日本国憲法の制定過程について書かれている本は他にいくらでもあるのです。ではなぜ「憲法は要らない」のか。日本が統一的憲法典を採用しないとして、何をその一部とするのか、日本国憲法も帝国憲法も採用するのか、そこに矛盾は生じないのか。どのようなものを判例として使うのか。そしてどのように運用するかの説明ぐらいあっても良かったかと思います。

 これで憲法に関する議論は今までのものと違ったものになるのか…。ならないでしょうねえ。結局、西村氏が何の意図でこの本を書いたのか、理解に苦しむような内容でした。





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今更ながら安倍談話について~倉山満「歴史戦は『戦時国際法』で闘え」と中西輝政「外務省に奪われた安倍外交」を読んで

 
 本当に今更ですが、前回の感想に加えて安倍談話について語りたいと思います。最初に談話を聞いたときに感じた事。「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」この言葉は良かったかなあ。と、しかし、この談話の中で使われた「民族自決」の言葉に、なぜこの言葉を使わなければならなかったのかと思いました。

 その後こちらの報告書を読みました。

20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会(21世紀構想懇談会)

 ざっくり読んだ時の感想をFBにこのように書いています。「とりあえずアメリカ様とウィルソン様が素晴らしいと言いたいようです。そしてとにかく日本が悪いと。」そして、この投稿にコメントを頂いた方にこのように返信していました。「暗澹たる気持ちになりますね。これが有識者とは。こうでなければ、学界では生き残れないし、政府内で発言もできないということなんでしょうね。逆に首相談話がよくあの程度で済んだものだなと思います。」
 
 「民族自決」という言葉ですが、倉山先生の著書ではレギュラーメンバーにもなっているウッドロー・ウィルソンが唱えたものです。一見、当然のことのようにも思えます。しかし、そもそも民族とは何でしょうか。人種とは意味が違います。これは日本人には非常にわかりづらい言葉ではないでしょうか。倉山先生はこのように説明します。

「歴史戦は『戦時国際法』で闘え」(P18~19)より引用

「Nation」というのは、主権国家を持つ意志と能力を持つ集団のことをいいます。
「Ethnic」は、主権国家を持つ意志と能力を持たない集団です。
 人種なら、肌の色で区別がつきます。部族なら血統、つまり誰と誰が親子関係にあるかという血縁関係で区別がつきます。自然科学的に説明できることです。
 けれど、「民族」という場合、「Nation」なのか「Echinic」なのかで、最終的には実力で解決するしかないのです。つまり殺し合いで決着をつけるしかないのです。

(引用終わり)




 これが大袈裟ではないことは、倉山先生の著書『真・戦争論 世界大戦と危険な半島』を読んでいただければよくわかります。バルカン半島で繰り広げられている民族主義の激突。あの悲惨なユーゴ内戦のことは記憶に新しいことかと思いますが、「民族自決」の言葉でこのようなことが正当化されることがどれほど恐ろしいことなのか、お分かりいただけると思います。



 こちらは私のブログでも感想を書いていますので、ご参考までに。と言いつつも、この回の感想はどちらかと言うと、なぜ倉山先生の本は読みやすいかの解説ですが。

倉山満 「真・戦争論 世界大戦と危険な半島」 感想

 民族問題が深刻でない日本であっても、「アイヌ」や「琉球」を取り上げる人たちがいます。彼らは日本人とは別の民族で、特に琉球は日本とはもともと別の国なので独立すべきだ言います。そもそも沖縄が日本ではないということの事実関係にも疑義がありますが、本当に独立したらどうなるのでしょうか。独立派の方たちの主張を聞くと、大体が米軍基地は撤退して、非武装で独立する。軍事基地があるから紛争が起こる、などと言っています。中国が尖閣だけではなく沖縄まで自国の領土だと主張することがある今、沖縄独立を叫ぶのは国を売り飛ばすこと、チベットやウイグルと沖縄が同じことになっても良い、と言っているようにしか聞こえません。

 なぜ安倍談話でこのような言葉を取り入れなければならなかったかというと、さっき上げた有識者懇談会座長代理・北岡伸一大先生様の主張全開の報告書が元になっているからにほかならないのでしょうが、わざわざ琉球独立派を元気づけるような、そして国際社会からこの問題に対して突っ込まれるような言葉をあえて、使うことは無かったのではないかと思います。

 安倍談話に関してこちらの本の中で、有識者懇談会のメンバーである中西輝政氏の「Voice」の論文「外務省に奪われた安倍外交」についても言及があります。中西氏によると、「安倍談話」の英文は「村山談話」と対して変わりがない内容なのだそうです。



 中西氏の指摘する問題点は主に3つ。

 一つ目は、「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない(Incident, aggression, war – we shall never again resort to any form of the threat or use of force as a means of settling international disputes.)」の「もう二度と」と言う箇所。この「もう二度と」という言葉のせいで、明らかに「一度は侵略した」と日本政府が公式に認めたことになってしまう事。

 二つ目は「先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。(中略)こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります」の「揺るぎない(unshakable)」という一語。
 「歴代内閣の立場を継承します」とだけ言っていればよかったものを、村山談話や小泉談話で継承表明された日本の立場を単に引き継ぐのではなく、日本国の「国是」として確固たるものにするような意味になってしまうとのこと。

 そして三つめは「あの戦争には何らかかわりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わねばなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります」こちらの「しかし、それでもなお(Still, even so)」逆説を意味する接続詞「しかし、それでもなお」が入ることによって「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」は打ち消され、否定されるのだとか。

 詳しいことは、是非Voiceの方でお読みいただきたいのですが、これを言いがかりだと思いますか?それほど慎重にやらなければプロパガンダでやられてしまうと言うことです。もちろん、それを跳ね返すだけのことを日本が出来れば別なのでしょうけど、それをやれているようにはとても見えません。

 安倍総理の応援団である中西氏がメンバーにいてなぜこのようなことになってしまったのか。会議の委員構成上結局所謂安倍派は14対2の圧倒的な少数派だったそうです。そんな中でも何とか、日本の戦争が「侵略」でなかったことを後世に示すことが出来たと中西氏は言います。それが先ほどの報告書にあったこちらの注釈です。

1 複数の委員より、「侵略」と言う言葉を使用することに異議がある旨表明があった。理由は、1)国際法上「侵略」の定義が定まっていないこと、2)歴史的に考察しても、満州事変以後を「侵略」と断定する事に異論があること、3)他国が同様の行為を実施していた中、日本の行為だけを「侵略」と断定することに抵抗があるからである。

 しかし、ここでの中西先生の尽力もむなしく、北岡大先生様はそれをぶち壊すような会見をしています。

北岡伸一 国際大学学長 2015.8.31


気になった発言を抜粋

 総理は「日本が侵略をしてないとは私は一度も言っておりません」と何度も言っておられるんですよね。じゃあこれは一歩進めて「侵略した」と言ってくれないかなと。そうすると国際社会の通りも良くなるんだけど。

 侵略とは何か。軍隊を送り込んで、大量に多数の人を殺して、財産を奪いとって、主権を制限して、ひどいことをした。それは侵略と同じではないでしょうか。       

 (侵略と言う言葉に対して)国際法だけではこれはちょっと微妙な問題が生じる。なぜなら現在は侵略は違法ですから、侵略したら制裁が科せられるわけです。

 普段国際法に何の関心もない、国際法の「こ」の字も知らない人が、国際法上定義がないから侵略と言う言葉を使っちゃいけないと言う人がいますがまあ笑止千万であります。


(抜粋終わり)


 北岡大先生様は安倍総理に対して「侵略」と言う言葉を使ってほしかったようですが、なぜここまで、日本(だけ)が悪かったことにしたいのでしょうか。そもそも2番目の文章の侵略の定義が正しければアメリカも侵略国家です。そして最後の文章ですが、これは中西氏をバカにしているとしか思えません。

 今の外交上、国内上の問題を考えれば確かに安倍談話は安倍総理の出来る精一杯だったのかもしれません。しかし、だからと言って支持者がそれを受け入れ何も言わないことが本当に安倍総理のためになるのでしょうか。それこそ、中西氏の言う通り、この程度でいいのだと政府にも反対勢力にも思われることになるのではないでしょうか。前々回書いた経済政策にもつながると思います。これでは、なんでも反対の人たちの方にばかり総理や政府は目を向け、本当に応援している人たちの言葉に耳を傾けないことになるのではないでしょうか。支持者が建設的な批判をすることは大事だと思います。そういう人に石をぶつけるような真似をする人が何をしたいのかわかりませんが、敵と味方を見誤ることの無いよう気を付けたいものです。

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和田政宗 戦後レジームを解き放て! 感想


 次世代の党の政調会長、和田正宗先生。先日のニコ生の対談も面白くて有益なものでしたが、参議院での質疑も本当に素晴らしかったですね。


和田政宗議員と安倍晋三総理大臣の素晴らしい議論(2015年7月29日)



 衆議院での他の野党のあのむなしい質疑は何だったのかと思いました。もう、次世代の党だけでいいのではないかと思ってしまいます。次の日の中山恭子先生の質疑も拉致被害者を取り返すという視点に絞り、その上で法案をより良いものにしていくための前向きなものでした。

 和田議員の質疑を受けてのその意図が良くわかる動画がチャンネルくららでUPされていますので、こちらもご覧になられるとより理解が深まると思います。


【8月4日配信】和田政宗先生 大勝利者インタビュー!「安保法制特別委員会&NHK日曜討論」和田政宗 山村明義 倉山満【チャンネルくらら】



 さて、今回の記事は、その和田先生がまだみんなの党に所属していた時に出版された本の紹介です。戦後レジームとはいったいなんであるのか。メディア、教育、憲法などを通じてGHQがどのような罠を日本人に仕掛けたのか。そしてそれがどれほどまでに現在の我々を縛っているのかが書かれています。

 和田先生は元NHKのアナウンサーだったため、その時の自らの体験などを語っているのですが、なんだかここで読んだようなエピソードをちょっと前にも見たような・・そうです。先日感想をUPした上念司先生の「高学歴社員が組織を滅ぼす」で書かれているそのままのことがNHKでも起こっているようです。

上念司 「高学歴社員が組織を滅ぼす」 感想

 日本のメディアは全体的に左傾化している印象を受けますが、それは特定の勢力の意思で動いているという簡単なものではなく、保守的なことを言うと軍国主義の礼賛につながるのではないかという漠然としたおそれ、それこそGHQによる統制の産物と、それによる左派の人のバッシングを恐れる気持ち、要は外部からのクレームを受けることで組織内で冷遇されることを恐れる事なかれ主義的な官僚組織化した体制。これがメディアの成熟を妨げていると和田先生は言っています。

 最後の章で台湾の元総統の李登輝先生との交流を通じて、本来の日本人の精神についてと和田先生の政治家としての覚悟について書かれているのですが、現在の安倍政権に対する思いを読むと、党など関係なく日本のことを思って奮闘されている方なのだと強く感じます。安倍政権の足を引っ張る事だけしか考えず、なんでも反対の野党は日本のことを考えて政治を行っているのか、それだけでなく、自民党員ですら隙あらば安倍総理の足を引っ張ることを考えているのではないかと悲しくなります。和田先生は前回の参議院議員選挙で当選したばかりの方ですが、日本のためにこのような政治家が増えてくれればと強く思います。



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佐々木惣一は天皇退位論者か~松尾論文を読んでの考察~

 この論文を読むことになったきっかけ。Twitterのタイムラインで「佐々木惣一は天皇退位論者。倉山満はそんな人を高評価してる。ファンは西部中野組の天皇退位を叩くのに、倉山さんの評価している人の天皇退位はスルーするのか」という趣旨のツイートが流れてきました。

 かの人物は最近、執拗に根拠の乏しい理由で倉山先生を叩いていて、私は以前フォローしていたのですが、余りに目障りになったのでフォローを外していました。しかし、私のフォローしている人にも彼女のフォロワーがいて、たまにタイムラインに流れてきます。
 単なる根拠のない批判ならスルーしようかと思っていたのですが、学術論文を付けての批判。ならばとりあえずと論文を読んでみました。

敗戦前後の佐々木惣一--近衛文麿との関係を中心に

まず全体を読んでみて結論に愕然としました。(以下『』内は論文からの引用)

 『国体維持を第一義とした近衛は、もし生きて巣鴨の獄中にあったとすれば、新憲法にどのような感想を抱いたか。また木戸と同様死刑を免れたとすれば、自らの戦争責任をよそに、皇位に固執し続ける天皇を眺めながら、どのような余生を送ったことであろうか。』

 皇位に固執し続ける天皇?いったいこの著者はどんな人なのでしょうか?

 松尾尊兌なる方の人物像wikipedhiaでは良くわからなかったのですが、インタビュー読んでなるほどと。

<インタビュー>3・1独立運動記念学会で訪韓した松尾尊兌氏

 「残念ながらも日本で過去に対する反省はほとんどない。問題は太平洋戦争の敗北後、天皇と天皇制が続いている点だ。戦争の最高責任者は天皇だが、天皇は戦犯裁判にかけられることもなかった。結局、戦争の最高責任者が自由の身になり、これは日本が悪いことをしなかったという認識に拡大した。今後はこうした行動に対する反省が出てくるよう期待する。それには日本人の認識が変わらねばならず、韓国との文化交流が活性化されねばならない。韓流のため、日本人が韓国の文化に関心を持ち始め、韓国の歴史と文化を新たに眺めようとする認識が日本国内に広がりつつある。韓流の広がりが、日本人が過去の過ちを反省する契機になればいいと思う」

 うーん。佐々木博士が天皇退位論者なのではなくて松尾氏が天皇退位論者なのではないでしょうか?

 でも学術論文はその人がどういう人物かではなく何が書かれているかが大事だと思い細かく読んでみました。

 佐々木博士が天皇退位論者なのではと思われる部分。

・p133より天皇退位、皇室典範問題について、佐々木と近衛が話し合ったという資料は発見されていないが、その可能性はあった著者は述べている。

・p134 6月25日に憲法改正案が衆議院に上程されると,佐々木は連日傍聴に出か けた。 貴族院では同じ6月25日,吉田首相の施政方針に関する質問の中憲法改正につき,「国家政治的基本性格」すなわち「天皇制度」を改憲により変更して差支えないかと質した。

・p134 新憲法には天皇無答責任の条文が欠如していることを指摘し、天皇の戦争責任に言及し、皇室典範に退位規定を設けることを暗に主張とある。

・p136 『近衛が要綱を、佐々木が草案をという役割分担も、相方了解した上のことであった。また両者の間には皇室典範を改正し、天皇の退位を促すという暗黙の了解もあった。』

 ここであげたもので
 p133の部分は資料が発見されていない、つまり著者の憶測の可能性もあるということですよね。

 P134の「天皇制度」を改憲により変更して差支えないかと質したとの部分は法律論の確認のようにも思えます。

 P134の天皇の戦争責任に言及し、皇室典範に退位規定を設けることを暗に主張したの部分ですが、p134~p135にある(第90回帝国議会貴族院議事速記録第25条)の佐々木博士の言葉を読み解くに、天皇に責任がないというのは誤解される。国家の政治にあたるものが責任がないということは一般的にはありえない。新憲法には天皇無答責任の条文がない。天皇陛下は戦争の結果においていろいろお考えになるであろうから、皇室典範で退位の規定を設けるべきではないかということ。要は新憲法では天皇無答責の条文がないことから、天皇が自ら退位できないのは法律上の不備だということではないか。

 P136の「両者の間には皇室典範を改正し、天皇の退位を促すという暗黙の了解もあった」というのも根拠のある資料の提示がない。

 これをもって佐々木博士が先帝陛下の戦争責任により退位させようとしていた人物だというには根拠が薄い気がしました。そしてこの論文中にもそれとは真逆の記述があります。

・p126 によると佐々木博士は摂政在任中の改憲を禁止した第七五条の再検討(改憲を可 としてよい)と憲法中に「憲法改正ノ手続ヲ以テスルモ国体ヲ変更スヘカラサルノ規定ヲ設 ク」の規定がないことを問題としていた。要は憲法の改正によって国体を変更されてしまう可能性があることを危惧していた(実際に天皇が統治者だったのに、主権在民になった)。

・p136 佐々木は万世一系の天皇が統治権を総攬するという国体を変更する必要はないと自説を展開している。
 
 そして現実として憲法改正案である佐々木草案では天皇に関する第1条から4条は帝国憲法からの変更はありません。佐々木博士は天皇による統治権も天皇の神聖不可侵性も変えるべきではないと考えていたということです。そしてこの論文の中でもいかに佐々木博士がご皇室を敬っていたのかが読み取れます。それなのに戦争責任を追及するために天皇退位を計っていた?

 どうにも論文に整合性を見いだせなかったので、倉山先生に質問してみました。倉山先生は「帝国憲法の真実」にも書かれているのですが、佐々木惣一博士の弟子筋にあたる先生方の研究会で憲法を学ばれたそうです。
 倉山先生によると、先ほどの佐々木博士の言葉通り、法律上は天皇は無答責のはずであるが、新憲法にはない。また、法律上無答責であっても、現実には(政治的に)無責任はありえない。天皇陛下が自らの意思で退位できないという規定は欠陥だということ。やはり法律論ですね。

 私のこの質問に対して他の方が、当時の仏教界では天皇陛下が出家すると言うことに関して、ありえないことと言う認識はなかったが、あくまで先帝陛下をお守りすることが目的であって、天皇責任論などには基づいていない、といったことも教えてくださいました。

 佐々木博士が単なる法律論や政治論ではなくどのようにお考えだったかは、倉山先生の「帝国憲法の真実」に書かれています。わかりやすく言うと次のようになります。

 もし日本国民の心が皇室からはなれ、憲法改定により国体を変革しようとしたとき、たとえ憲法典の条文と言えどもそれを押しとどめることは出来ない。
 そしてそのときには日本が日本でなくなる。


 それがどういう意図であったのか、詳しくはぜひこちらの本を読んでいただきたいと思います。

 ちなみに、西部中野の天皇出家論とは、ちょっとこのブログに掲載したくないので割愛させてください。「西部邁 天皇出家」「中野剛志 天皇出家」でキーワード検索すれば出てきますので。

 どちらにしても松尾論文を読んだだけでも佐々木博士がいかにご皇室に敬意を持っているかが読み取れるのに、結論が乱暴な天皇退位論になっているのです。松尾氏の持論を権威づけるために佐々木博士を利用したのでは?

 それでこちらの論文を読んだ感想を、前出のツイッターアカウントにぶつけてみました。

 すると彼女(ネットなので性別が明らかではないのですが女性の口調ですので彼女と呼ぶ)倉山さん、和田さん(参議院議員の和田正宗さん)が佐々木さんについて述べているソースを募集してただけで、私の意見には用がないという。

 はい?あなた西部中野組の天皇退位は叩くけど倉山さんの評価してる人の天皇退位はスルーなんてことは無いよな、って言いましたけど、これ明らかに倉山先生の支持者への挑発ですよね。

 すると、上念さん、倉山さんが煽る相手に対しては同調して群がる皆様に宛てて空中に放った、ときました。ああ、あなたの2500人以上いるフォロワーという空気の中にね、その人が撃った弾が私にあたったんですよ。

 どちらにしても私と論争する気はなさそうでしたので、倉山先生の発言のソースと著書を紹介しました。ちょっと捨て台詞を吐いてしまいましたが。

 疑いを持つこと自体は悪いことではないし、検証は大いにすべきだと思います。でも彼女のやっていることは根拠のない言いがかりが多く、今回は学術論文を付けてもっともらしく批判しているように見えて、中を読んだら結局トンデモ左翼の作文だったわけで。これを持って天皇退位論者の佐々木博士を高く評価してる倉山先生は偽装保守ではないか、みたいな批判はおかしいでしょう、ということを私は言いたかったのですが、それは彼女の気に入る言葉ではなかったようです。要は彼女のやっていることはないことの証明、もしくは魔女狩りです。

 どうやっても結論は出ないことですので、飽きるまでやっていただければと思います。

 一言。撃たれる覚悟がないのなら撃ってくるな、と。



テーマ : 読んだ本。
ジャンル : 本・雑誌

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Author:yumikw
富山市在住。夫と息子、猫2匹と暮らす会社員。

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